抽象 意味

頭があまりよくない人のために「抽象」というお話をしておきます。そもそも伝統的な日本の言葉にこの「抽象」という言葉はありませんでした。Abstructという外国語を日本語に無理やり翻訳した言葉が「抽象」ということになります。さて、普段いろいろな話をしていて最もおバカさん度の感じられる抽象の使い方の間違いが、
「抽象」=「曖昧」
です。おそらく対義語の「具象」(たぶん意味合いとして具体的ではっきりしているという意味で捉えているのだと思います。)から適当に連想して曖昧という意味として理解しているのだと思います。視覚的にいうとピントの合ったはっきりと映った写真と焦点がぼやけた写真のような感触で理解しているのだと思います。しかしながら抽象という言葉は曖昧でもなく難しい言葉でもなくむしろ論理的なはっきりとした意味をもっています。
抽象の意味を知る前に「体系」という言葉を理解した方がよいかもしれません。
体系とはある種の規則性と関係性をもった集合体のことを意味します。例えば「言葉」(我々の場合は日本語)は体系的なものです。同様にしてプログラム言語も一つの体系をなしています。また、我々の知る動植物もその進化の過程である種の体系をつくりだしました。体系をなすものは他にもたくさんあります。憲法や法律、医学、数学、哲学…そういったものは学者さんによって上手に体系付けられていて整理整頓されています。ここ近年には複雑系という一見してカオスに見えるような事象までが体系づけができるようになるんじゃないかというところまできています。これらの体系は、「具象の地平・抽象の梯子」と呼ばれる時があります。
言葉には、かなり具体的な種類のものがあります。例えば名前です。私の息子の滋生は私の息子の滋生だけを指すのであって、長嶋茂雄を指すものではありません。他のどんなに似たシゲオでもなく唯一そこに生きている私の息子のシゲオを指しています。具体的でありはっきりとした存在でありそれは唯一固有です。どうようにして人間はそれぞれ名前をもっていて、その名前の本人はオリジナルのユニバーサルユニークな一人の人間です。そういう意味ではそれ以上分けることもできないし、何かと統合することもできません。そのような存在はもうそれ以上掘り下げることはできないんです。例えばシゲオを内蔵や骨や筋肉に分断するともうすでにシゲオではなくなります。そのようにしてそれ以上掘り下げることのできない存在や事象のことを具象的であるというわけです。いわゆる具象絵画はそのような存在、そのような視座、そのような側面で見つめたものを表現したことになるかと思います。言葉の体系で言えば固有名詞は非常に具象的であると言えます。また誰かの持ち物であったり何かしら歴史的な産物であったり様々な側面をもつと更に具象的になるかと思います。イケヤで売られている椅子と坂本龍馬が座った椅子ではその具象性が違うわけです。さて、そのような分割不可能な事物が地平に無数に並んでいるわけです。
しかしそれらの唯一無二の事物は、ある種の特徴や共通点を「抽出」することができます。私の息子の滋生は小学校3年生の小子供であるという共通点を抽出することができます。ポケモンカードやディエマで遊びます。下手くそなサッカーもします。そそれぐらいの健康な子どもはだいたい同じようなことをやっています。このある程度の共通点を抽出したその事物や事象、言葉や存在を抽象といいます。私の息子の滋生は「子ども」という一つ抽象度の高い言葉で表現することができます。この際、滋生は必要条件になり「子ども」は十分条件となります。子どもに私の息子が含まれますが、私の息子は単に子どもであるばかりではないからです。このようにして、
上野動物園の花子→象→哺乳類→生物
というように具象の地平から上に登るように抽象的になってくるわけです。数量的に言えば(濃度という言い方をする場合もあります)抽象度が高いほど言葉が少なくなってゆきます。
宇宙の創世記などもそういう意味では非常に体系的です。我々の住む太陽系の地球は具象の地平に居ます。ビックバーンが最も抽象度の高い言葉になり、それを抽象的な表現といいます。何せブックバーンの最初の火の塊にはすべてが含まれているからです。すべてを含んでいるからといって「曖昧」ではありません。はっきりしたものです。
ちょっとこれまたお馬鹿さんな人は「抽象」を広い視野から見た…みたいなことを言ってしまう人がいます。これも間違いです。決して広い視野だとか俯瞰だとかそういうものとは関係ありません。あるいは頭のいいお馬鹿さんはこの抽象という言葉を一部の学問の専門用語だと思っている方もいます。これも間違いです。