少子化で困るらしい

人口が減っては困るらしい。私的に思っていることだけど、ここ最近の私の周囲の人々は賢いのか本当に間抜けなのかわからなくなる時があります。結婚や子作りは計画的に行われるものだと思っている方々が大半でありまして、そんなプロジェクトが会社でも政府でもなんでもよいのだけど実行されたためしがないことを誰もわかっていないのです。結果からはっきり言ってしまうとだいたいの人間が客観的な視点で生きているということです。だいたいの人がお客さんなんです。おそらく政治経済に関しても客さん、社会に対してもお客さん、会社の仕事に関しても客さん、要するに常にゲストなのですよ。当事者じゃないんですね。これちょっと表現というか叙述が非常に難しいのですが、ゲストと当事者というのは「意識」の問題ではないんです。自分に当事者意識があるとか一歩離れた安全なところから客観的に見る評価する意識(お客さん意識)とかそういうものじゃないのです。当事者とは当事者であるというただそれだけのことで、当事者そのもののことです。例えばですよ。写真を撮るという当事者がいるとします。写真の好み、写真家の知識、写真への愛情、そんなものどうでもいいんです。当事者とはシャッターをきる人間のことです。シャッターをきって映像を残す人間が当事者なんです。それが写真家だとかカメラマンだとか趣味とかどうでもいいんですよ。カメラ?レンズ?ほんとうにどうでもいい。そういうことです。
人口が減って困っているらしいです。そんなわけで恋愛・結婚・出産というリクルートが敷いたわけのわからない風潮はほんとうにどうでもいいことなので、恋人がほしいとか子供がほしいとか結婚したいとか、ほんとうにどうでもいいので、セックスして中出ししなさいということです。相手なんて誰でもいいのです。それなりの階級でそれなりの育ちをしていれば、周囲にいるのはそれなりの相手なので、適当に見繕ってちんぽを入れて中で出す、中で出される。それが当事者というものです。そのカップルが協力して子育てをする。その中に旦那の仕事があり、結婚とか籍とかいう制度があり、地域社会があるんです。そのときはどれもこれも当事者になります。これは「当事者である意識」とは関係ないです。
こういうことを考えていると人間は頭がいいんだか悪いんだかわからなくなってきます。
プロジェクトは走りだしてなんぼ、見切り発車してなんぼ、後先考えずに実行してなんぼ、です。その現象に対して具体的な事物がくっついてくるんです。具体的な何かを整えて組み立てるものではありません。