反転する価値とドラマ

最近の仕事といえばだいたいデバックばっかりやっています。デバッカーはプログラマーより偉いらしい、というのがシステムに携わっている人間の通念になっているのですが、これは「特攻隊が勇敢である」という戦中の通念と同じでデバッカーは本当に辛い仕事であります。ところでNHKドラマのロング・グットバイをここ最近毎週見ています。見れない時は録画しています。浅野忠信主演のかなりよく出来たドラマで私の好きなレイモンド・チャンドラー原作です。主人公の探偵はいわゆるハード・ボイルドといわれているあの手の男なわけでして、非常にかっこいい。浅野忠信もかっこいいのだけど役柄がそれにマッチして更にかっこいい。(余談ですが「乱暴と待機」の浅野忠信を見たばかりなので、その役柄の落差と彼の演技力にもあっぱれな感慨であります。)探偵の仕事が非常にかっこ良く見えるのは先のデバッカーと同様にどっからみても辛い仕事で特においしいところがどこにもなく何とも悲しい仕事だからです。それゆえに「偉い」だとか「かっこいい」だとか「勇敢」だとかいう評価になっているのではないかと思うわけです。正直もっともよい仕事というのは低コストの高リターンの仕事であってそういった仕事はきっと土日に家族と一緒にとても楽しく遊んでいられるだろうと思うわけです。デバッカーも特攻隊も探偵もそういったハッピーな仕事ではないことは確かなことです。つまり、
蔑まれた業務はその評価として両極端になる
というわけです。私自身の個人的な考え方だと娼婦という職業を尊いものだと思っています。かつて、N. クォールズ‐コルベット著作の「聖娼」という本を読んでいくらか考えが変わったのも確かではあるし、私自身娼婦にお世話になったことはないとしても「娼婦のしゃべり」はそこらの営業マンのおしゃべりの数百倍凄みがあります。彼女らもまたその尊さゆえに蔑まれた職業だというわけです。
デバッカーはちょっとした特別なスキルがないと確かにできない仕事です。しかしちょっと考えてみてください。デバッカーは数GB単位のファイルの中から問題になっているコードを探し出します。しかしそれができるのはたったワンコードですべてのプログラムを破壊するコードを仕込むこともできるんです。ちょっとした作業で数人のプロジェクトチームが半年間血みどろになって作り上げたシステムを破壊することができるわけです。これは武術家と同じです。すぐれたスキルをもつ武術家は1対nという戦いの中でも容易に勝つことができると同時に守ることができます。ボディーガードは優れた守備能力をもっていますが同時にすぐれた殺人術をもっています。すぐれたデバッカーはすぐれたハッカーであると同時に優れたクラッカーになることもできます。逆にいうと全然優れていないデバッカーは全くもってクラッカーとしての悪意をもった攻撃もできないというわけです。ここが哲学的に道徳的に非常に難しいところであります。これは本当に難しい。
かつて村上春樹の「ハードボイルド・ワンダーランド」の中ですぐれた計算士と記号士の話とよく似ています。そして、「ハッカーと画家」を読んでください。