何となくですが西洋医学がいかがわしく感じます。というのは、西洋医学がいかがわしいのではなくてそれぞれの分野の某の理屈みたいなものがいかがわしい感じがするんですよ。
例えばですが、育毛と禁煙まで病院で見てくれる...というのはいささかやりすぎなんじゃないかと思われるし、逆にベジタリアンが健康であるなんていう極端なロハス人の民間療法なんていうのもこれまたいかがわしい。特にこれらすべてがいかがわしいというのではなくて、これらのことが一般的乃至普遍的というようなその理論がなかなかいかがわしいわけです。マラソンが健康によいとは全然思えないし、ケミカル系の薬が体に害を与えるとも思えない。
20世紀は科学の時代であり、科学と技術の時代であったというのは間違いないと思うのだけど、この科学信仰というのは一種の新興宗教じみたものを感じたというのは私だけじゃないような気がします。科学の力がそれほどでもないな...と結果として思っている人間も少なくないと思うし、だいたい○林大学の先生がアトピーの治療ができるかといったらかなりの確率で失敗しているというわけです。勿論祈ったところでアトピーが治るわけでもないのですが。
ここら辺りは私もなかなか上手に表現できないのですが、一言でいうと「各個人でそれなりの理論と直感でもって」いろいろとできるのではないか...ということなのです。つまるところ科学と技術の反映はその普遍性と確率統計という実に単純な理論構造の中で行われるものであって、例えば99%の確率である科学技術が成功すればそれは100%成功したのと同義となるわけで世間に広がるその科学技術は(メディアも悪いわけですが)100%のモノとして普及し、残りの1%を全く顧みないということになってしまう。そういう意味ではその1%はかなりいかがわしい。
風邪をひいたり病気になったりすると私の場合「こりゃ、2〜3日は治らんな。」とか、「仕事に行っても大丈夫だな。」というような直感はよく働いて殆どそれが的中するし、逆に「こりゃ、2〜3日は治らんな。」という感覚は、「こりゃ、2〜3日休みたいな。(本でも読んでさ。)」というような感覚に置き換えることができます。「仕事に行っても大丈夫だな。」はイコール「特に休む必要ないし、このタイミングで休めないな。」というような感覚と複雑に絡んでいるわけです。病は気からじゃないけど、割とその自分の意志と同時に病気として抗えない姿というのが一体化しているという感じがするんですよ。つまり、
「簡単なんですよ。タバコをやめる。タバコを吸わない。これだけですね。」
何と簡単なことか!逆にいうと今の私にはタバコをやめる意志なんて全くないわけです。むしろ誰かがやめさせてくれないかな(しかも楽に)...などという他力本願なところがあって、これじゃタバコなんてやめられないです。上記の言葉にはかなりニュートラルなところがあって感銘を受けました。が、今現在私がやっている禁煙法を紹介します。先ほど述べたように、ここには普遍的で統計的で科学的な要素はなく、オカルト的な要素もなく、私なりのかなりニュートラルな方法です。
まず、1mgなんていうタバコを吸わないでハイライトで行きます。喉が痛くなって困りますし、臭いし、夜中に咳き込みます。しかし、不思議なことに慣れて来るんです。吸いすぎると気持ちが悪くなるんですが、それでも吸います。それに慣れてきたら今度はピースにしてください。タール21mg、ニコチン1.9mgとかなり強烈です。これもハイライトを吸い始めた時と同様かなり気分が悪くなります。それでも吸い続けます。ここ最近、肺の調子はおかしいし、朝酷く咳き込み、呼吸が浅くなって窒息しそうな気分を味わいます。ああ、気分が悪いと思いながら朝飯前に数本吸いましょう。死にそうになります。が、日中は大丈夫です。
これを続けていたら迎える来年度4月にはタバコがやめられそうな予感がしています。
20世紀は科学の時代であり、科学と技術の時代であったというのは間違いないと思うのだけど、この科学信仰というのは一種の新興宗教じみたものを感じたというのは私だけじゃないような気がします。科学の力がそれほどでもないな...と結果として思っている人間も少なくないと思うし、だいたい○林大学の先生がアトピーの治療ができるかといったらかなりの確率で失敗しているというわけです。勿論祈ったところでアトピーが治るわけでもないのですが。
ここら辺りは私もなかなか上手に表現できないのですが、一言でいうと「各個人でそれなりの理論と直感でもって」いろいろとできるのではないか...ということなのです。つまるところ科学と技術の反映はその普遍性と確率統計という実に単純な理論構造の中で行われるものであって、例えば99%の確率である科学技術が成功すればそれは100%成功したのと同義となるわけで世間に広がるその科学技術は(メディアも悪いわけですが)100%のモノとして普及し、残りの1%を全く顧みないということになってしまう。そういう意味ではその1%はかなりいかがわしい。
風邪をひいたり病気になったりすると私の場合「こりゃ、2〜3日は治らんな。」とか、「仕事に行っても大丈夫だな。」というような直感はよく働いて殆どそれが的中するし、逆に「こりゃ、2〜3日は治らんな。」という感覚は、「こりゃ、2〜3日休みたいな。(本でも読んでさ。)」というような感覚に置き換えることができます。「仕事に行っても大丈夫だな。」はイコール「特に休む必要ないし、このタイミングで休めないな。」というような感覚と複雑に絡んでいるわけです。病は気からじゃないけど、割とその自分の意志と同時に病気として抗えない姿というのが一体化しているという感じがするんですよ。つまり、
- 「思わず○○してしまった!」=「(かなり意識的に)○○したかった!」
- 「○○しなくてはならない。」=「○○したい。」
- 「○○することができない。」=「○○したくない。」
「簡単なんですよ。タバコをやめる。タバコを吸わない。これだけですね。」
何と簡単なことか!逆にいうと今の私にはタバコをやめる意志なんて全くないわけです。むしろ誰かがやめさせてくれないかな(しかも楽に)...などという他力本願なところがあって、これじゃタバコなんてやめられないです。上記の言葉にはかなりニュートラルなところがあって感銘を受けました。が、今現在私がやっている禁煙法を紹介します。先ほど述べたように、ここには普遍的で統計的で科学的な要素はなく、オカルト的な要素もなく、私なりのかなりニュートラルな方法です。
まず、1mgなんていうタバコを吸わないでハイライトで行きます。喉が痛くなって困りますし、臭いし、夜中に咳き込みます。しかし、不思議なことに慣れて来るんです。吸いすぎると気持ちが悪くなるんですが、それでも吸います。それに慣れてきたら今度はピースにしてください。タール21mg、ニコチン1.9mgとかなり強烈です。これもハイライトを吸い始めた時と同様かなり気分が悪くなります。それでも吸い続けます。ここ最近、肺の調子はおかしいし、朝酷く咳き込み、呼吸が浅くなって窒息しそうな気分を味わいます。ああ、気分が悪いと思いながら朝飯前に数本吸いましょう。死にそうになります。が、日中は大丈夫です。
これを続けていたら迎える来年度4月にはタバコがやめられそうな予感がしています。



