善悪ドラマとシンケンジャー

a0135993_23512384.jpg

 毎週シンケンジャーを子供と一緒に見ている。僕が幼い頃はもっぱらゴレンジャーであり5人ものの実写ヒーローの草分けみたいな感じだったような。誰もが知っている通り、
  1. 通常の生活があり、
  2. 何かしらの単純なドラマがあり、
  3. 悪い怪物がいて、
  4. 悪い怪物が様々なことを企んで実行し、
  5. ヒーローが変身して、
  6. 悪い人を倒すが、
  7. (よくわからんけど、)悪い怪物が巨大化してリベンジを行い、
  8. ヒーローが合体してロボットになり、
  9. (街を散々壊して)一件落着。
というストーリーが毎回繰り広げられる。このようなストーリーとほぼ同様のプロットを組んでいるのが「水戸黄門」や「必殺仕事人」、「東山の金さん」などの時代劇の類である。
 この単純なストーリーにうちの子供はかなり集中して半ば頭がおかしくなっている。一度プチッとテレビの電源を消してみたら、数秒間放心状態になり、キチガイみたいに泣いた。何やら彼らにとってはかなり重大なストーリーであるらしく、放送終了後にもいろいろと僕に説明してくれる。
 バカみたいに単純な物語に対してうちの子供以上にキチガイだったのは、祖父である。毎度毎度同じお話の水戸黄門を耳が遠いせいで轟音でもって注視しているのである。今思えばうちの子らの表情と何1つかわらないような気がしないでもない。こういうのを端から見ていると何かしらの中毒症状のようなものに見えてくるから不思議だ。彼らはこの単純なストーリーをある種の麻薬のように摂取しているわけである。
 しかし実際にこんなやさしいドラマは生活の中にはないし、むしろ現実の生活では複雑奇怪なわりになんのドラマもない。生活にはこのような単純ストーリーにはない困難さと矛盾と不条理が一体となっているが、もし仮にそのような複雑なドラマをジョンアービング並の長編でもってドラマ仕立てにしたとしたら、たぶん誰も視聴しないだろうな...ということは容易に想像できる。子供には複雑過ぎてつまらないだろうし、戦争万歳世代の祖父には(もう亡くなったが...)戦争万歳、富国強兵、大東亜共栄圏といったかなり単純なプロパガンダにのせられた世代には、かなり難しい。
 ジャン・ポール・サルトルの「存在と無」よりも、「明日から幸せになれる15の法則」という本の方が間違いなく幸せになれるだろうし、うちの子もシンケンジャーを毎週見ている方が正常な大人に成長するような気がしている。が、何かしら根本的な部分での懸念がぬぐい去れないのである。というのは、例えばもう中年に近いいい大人が「正義の味方と悪い怪物」的な構図で話を進めている場面に多数出くわすからである。シンケンジャーは怖くないが、大人がシンケンジャー的なストーリーの中で物事をすすめていると思うと非常に怖い。正に今回の政権交代とか...。

 ちなみにシンケンイエローは明るい女の子で可愛い。シンケングリーンも生意気な若者でいい。シンケンゴールドの握った寿司はまずそうである。






プロフィール



  • Name :: 山上オサム ♂(37)
  • Hobby :: 武術
  • Work :: Web Designer