拡張
そんなわけで、我々の利用しているコンピューターはとりもなおさず「脳」の拡張であり、CPUは脳の処理能力の拡張、メモリは一時的な短期記憶の拡張、HDDは長期記憶の拡張ということになります。古い記憶をHDDから読み上げて、処理するためにメモリに駐屯させ、CPUに渡します。何らかの処理結果をメモリに戻して保存し、長期的に保存する際には再度HDDに書き込むわけです。自動車は足の拡張であり延長であり、あなたの家の冷蔵庫は冬の倉庫の時間的な拡張であり、十字架に磔けられたキリストは神の概念的な拡張です。このようにして何かしらの新しいものは身体的な部位の拡張ということになります。たぶん何らかの拡張に当てはまるので考えてみるとおもしろいです。衰退
拡張とは反対に「何かしらの新しいもの」は衰退します。コンピューターは本来の人間の生の記憶や処理能力を衰退させます。紅白歌合戦の最後に主演する暗算の名手のような脳から我々の脳は遙かに衰退します。同様に自動車は江戸時代の飛脚のような身体能力から我々の足を衰退させます。回復
回復は時間的に過去の事物をその新しいものが一時的に復活させます。コンピューターは過去に存在したイデオット(何でもかんでも記憶してしまう自閉症)的な神がかった能力を回復させます。またかつての村落などの酋長や老人のような伝承的な記憶に関するいわゆるライブラリーを復活させます。コンピューター検索によって過去の事物はなんでも調べることができるからです。あわよくばもの凄い過去の記録にまでさかのぼることができます。反転
回復の延長としてその延長のぎりぎりの先には反転が起こります。回復が時間的に過去だったことに対して、反転は未来に起こりえます。コンピューター漬けになった現代人は「そろばん講座」に通い出したり、暗算をはじめます。これじゃいけない!といってコンピューター依存を防ごうと躍起になります。がまた逆にiPhoneのタッチパネルや任天堂のWiiのように直接の身体操作に反転します。コンピューター操作に汗をかくわけです。マクルーハンの考え方は一見して文献学的乃至哲学的なのですが、実際にはまるでスポーツアスリートみたいな身体的、触覚的な意味を強調することが多いです。決して概念的でイデオロギッシュな理論体系に依存しないところがいいです。クオリアなんかとかなり深い関わりがあるんじゃないか...と私自身は思っています。



